2020/12/8

小政のネーミング

 昼間は、日が当たりポカポカ陽気!!
日月と慣れない仕事に行ったので疲れた(年齢には勝てない?)今日は、のんびりしようと思ったけど、いろいろと片付けがあってグタグタできない。
 
 老人施設へボランティアで訪問すると「小政連」ってどうしてつけたの❓と嬉しい質問が、たま~にあります。
当時清水区の連員が多かったので、単純に清水にちなんだ名前を付けようと、みんなであれこれ考え、やっぱり清水港の次郎長だよね!でも次郎長連・・・長くてごろが悪い、大政う~ん、小政はと特に深く考えずネーミングしました。そのおかげで、徳島でも静岡から来たのと声を掛けられます。
 そこで小政について少し調べてみました。
浜松宿新町、桶屋の吉川由蔵の二男として生まれ、本名 吉川冬吉、家計を助けるために鶏卵の行商に歩いていた。その時浜松宿で次郎長と出会い、浜松の賭博親分、国領屋亀吉と地元の魚問屋のとりもちで、次郎長一家の身内となった。その後次郎長と養子縁組して「山本政五郎」と名乗った。
明治維新後は掛川宿に移り賭場を徘徊、特に剣術に優れていた。
 闘争で相手方二人を殺し、やがて浜松監獄に収監、明治7年5月29日牢獄で死亡。32歳6か月の短命。お墓は、浜松中区大聖寺にある。
合掌  一度お参りに尋ねてみたい。